初めての雪国

「トンネルを抜けると、そこは雪国だった」。あまりにも有名な冒頭のフレーズ。国語の教科書でそのフレーズだけは知っていたがついぞ読むことがなかった。最近、何かの雑誌か書籍か忘れたがこの有名なフレーズに続く文章がまた美しいと語っていたのをたまたま目にして、読んでみようと図書館に足を運んだ。果たして読み始めるとかなり昔に書かれていたものなのに、全く読みづらいことはなく、日本語の表し方は非常に美しく、艶やかで映像を観るかのように視覚的に身体に染み渡るのであった。「雪国」の満足度が高かったので続けて、「伊豆の踊り娘」も読んだ。作品全体が奏でるその艶っぽさは「雪国」がより、鮮やかだった。文芸作品を堪能できるきっかけをつくってくれたあの日の雑誌記事あるいは書籍に、感謝している。

par avion

元柔道の金メダリストで現在はMMA(mixed martial arts:総合格闘技)の石井慧選手の今を伝えるyahooに掲載された記事を読んで、ふたつの点で多少の驚きがあった。

ひとつめは、柔道の金メダリストまで極めた世界一のアスリートがMMA転向10年目の今、「ある程度納得できる技術レベルに到達した」と言い、さらには、凡人が言うならわかる「何事も習熟するには10年かかる」と発言していること。ふたつめは、「今の日本は言いたいことをいえない風土。だからクロアチア国籍をとりクロアチア人になった」と発言していることだ。

今の日本全体を覆っている窮屈さが一人のアスリートの言葉から滲み出ているというのが新鮮に思えた。自国から離れて見ることで、より明快に浮かび上がるものごとの真の姿というものなのかもしれない。

飾り気ない彼の人格と大陸的なスケールの大きさも伝わってくる良い記事だと思った。

長州力と泳げたいやきくんの共通項

プロレスラーの長州力が引退した。中学時代、彼のポスターを部屋に貼っていた。新日本プロレスが好きだった。長州力はアマチュアレスリングミュンヘンオリンピック代表経験者として期待されながら、プロとしては地味でメキシコ修行(現地に住み込んでメキシコリングに上がる長期遠征)に出るまでぱっとしなかった。当時、絶賛売り出し中のスタン・ハンセンが大暴れするのを制止する若手の一人として面白いようにロープに振られ必殺技ウエスタンラリアットの餌食になって豪快に吹っ飛ばされていた。他の日本人レスラーが大体黒シューズなのに白いシューズを履いて珍しかったし髪型がこれまたおばさんパーマでイケてなくて、「白シューズの長州、また吹っ飛ばされてるよ」と笑っていたものだ。

ところが数ヶ月後(1年間くらいの記憶だが定かではない)に、メキシコ修行を終え日本に凱旋帰国し日本のリングに上がったとき、髪型は長髪になり、肌は褐色に灼け、面構えも精悍になり明らかに一皮むけていた。

それから、かの有名なかませ犬発言から一気にメインストリームに踊り出て快進撃が始まった。

当時、メインエベンター争いでは一歩も二歩も先を行っていた藤波辰巳に向かって、「藤波!なんで俺がお前より前にコールされなきゃならないんだ。俺はお前のかませ犬じゃない!」と噛み付いて体制に反旗を翻したわけだ。あの駄目長州がスゲーカッコよくなった!と思ったし、イケてなかった男が一念発起して人生の反転攻勢に出たのを目にして当時中学生だった俺は子供ながらに興奮した。

あの時、長州はただのプロレスラーではなく世間の大多数を味方につけてひとつのアイコンになったのだと思う。一般社会とプロレスの間に橋を架けたのだ。

組織の中で、目上の人間の指示に従いながら大なり小なり内心忸怩たる思いを抱えながら仕事をこなす人間はたくさんいて、それらの人々に彼の言動、行動は大きな共感を呼んだのだと思う。当時中学生だった俺でさえ、駄目な男が見違えるように変わった姿の中に凄い説得力のあるドラマを感じていた。今改めて思うとあれは男のロマンであり、狙ったのか狙わずかは不明だが長州力は世間の代弁者の役回りをとにかく担ったのだ。

「毎日毎日僕らは鉄板の、上で焼かれて嫌になっちゃうよ、ある朝、僕は店のおじさんと喧嘩して海に逃げこんだのさ、、、」泳げたいやきくんが組織にいて嫌気がさし、どこかで解放されたい人間の心に響いてヒットしたのと共通するものを感じる。

その後、長州はトップに立ち、社会を支える大多数の代弁者としての役回りを終えてしまい、その男のロマンの物語に胸を踊らせていた俺にはつまらなくなってしまったのだが、あの熱い感情が吹き出した季節をリアルタイムで経験できて良かったと思う。ここ数年の新日本プロレスは一時の低迷を抜け出し元気を取り戻してファンとして嬉しいが、あの頃の魂が震えるようなムーブメントを巻き起こす力はあるだろうか。