思いつきで、静岡県網代に来た。日帰りで露天風呂に浸かる。駅前の喫茶店の新聞にスーパービュー踊り子ラストランの記事。「30年おつかれさま」なのだという。自分の勤続年数に重なる。俺も「おつかれさま」だ。今の勤務先でのラストランはもう始まっていると認識している。
投稿者: ふう
ゆるゆるぶれぶれふらふらゆらゆら
「快楽なくして何が人生か」と「禅マインド ビギナーズ・マインド」を並行して読んでも自分の中に違和感はない。
初めての雪国
「トンネルを抜けると、そこは雪国だった」。あまりにも有名な冒頭のフレーズ。国語の教科書でそのフレーズだけは知っていたがついぞ読むことがなかった。最近、何かの雑誌か書籍か忘れたがこの有名なフレーズに続く文章がまた美しいと語っていたのをたまたま目にして、読んでみようと図書館に足を運んだ。果たして読み始めるとかなり昔に書かれていたものなのに、全く読みづらいことはなく、日本語の表し方は非常に美しく、艶やかで映像を観るかのように視覚的に身体に染み渡るのであった。「雪国」の満足度が高かったので続けて、「伊豆の踊り娘」も読んだ。作品全体が奏でるその艶っぽさは「雪国」がより、鮮やかだった。文芸作品を堪能できるきっかけをつくってくれたあの日の雑誌記事あるいは書籍に、感謝している。
par avion
元柔道の金メダリストで現在はMMA(mixed martial arts:総合格闘技)の石井慧選手の今を伝えるyahooに掲載された記事を読んで、ふたつの点で多少の驚きがあった。
ひとつめは、柔道の金メダリストまで極めた世界一のアスリートがMMA転向10年目の今、「ある程度納得できる技術レベルに到達した」と言い、さらには、凡人が言うならわかる「何事も習熟するには10年かかる」と発言していること。ふたつめは、「今の日本は言いたいことをいえない風土。だからクロアチア国籍をとりクロアチア人になった」と発言していることだ。
今の日本全体を覆っている窮屈さが一人のアスリートの言葉から滲み出ているというのが新鮮に思えた。自国から離れて見ることで、より明快に浮かび上がるものごとの真の姿というものなのかもしれない。
飾り気ない彼の人格と大陸的なスケールの大きさも伝わってくる良い記事だと思った。
長州力と泳げたいやきくんの共通項
プロレスラーの長州力が引退した。中学時代、彼のポスターを部屋に貼っていた。新日本プロレスが好きだった。長州力はアマチュアレスリングミュンヘンオリンピック代表経験者として期待されながら、プロとしては地味でメキシコ修行(現地に住み込んでメキシコリングに上がる長期遠征)に出るまでぱっとしなかった。当時、絶賛売り出し中のスタン・ハンセンが大暴れするのを制止する若手の一人として面白いようにロープに振られ必殺技ウエスタンラリアットの餌食になって豪快に吹っ飛ばされていた。他の日本人レスラーが大体黒シューズなのに白いシューズを履いて珍しかったし髪型がこれまたおばさんパーマでイケてなくて、「白シューズの長州、また吹っ飛ばされてるよ」と笑っていたものだ。
ところが数ヶ月後(1年間くらいの記憶だが定かではない)に、メキシコ修行を終え日本に凱旋帰国し日本のリングに上がったとき、髪型は長髪になり、肌は褐色に灼け、面構えも精悍になり明らかに一皮むけていた。
それから、かの有名なかませ犬発言から一気にメインストリームに踊り出て快進撃が始まった。
当時、メインエベンター争いでは一歩も二歩も先を行っていた藤波辰巳に向かって、「藤波!なんで俺がお前より前にコールされなきゃならないんだ。俺はお前のかませ犬じゃない!」と噛み付いて体制に反旗を翻したわけだ。あの駄目長州がスゲーカッコよくなった!と思ったし、イケてなかった男が一念発起して人生の反転攻勢に出たのを目にして当時中学生だった俺は子供ながらに興奮した。
あの時、長州はただのプロレスラーではなく世間の大多数を味方につけてひとつのアイコンになったのだと思う。一般社会とプロレスの間に橋を架けたのだ。
組織の中で、目上の人間の指示に従いながら大なり小なり内心忸怩たる思いを抱えながら仕事をこなす人間はたくさんいて、それらの人々に彼の言動、行動は大きな共感を呼んだのだと思う。当時中学生だった俺でさえ、駄目な男が見違えるように変わった姿の中に凄い説得力のあるドラマを感じていた。今改めて思うとあれは男のロマンであり、狙ったのか狙わずかは不明だが長州力は世間の代弁者の役回りをとにかく担ったのだ。
「毎日毎日僕らは鉄板の、上で焼かれて嫌になっちゃうよ、ある朝、僕は店のおじさんと喧嘩して海に逃げこんだのさ、、、」泳げたいやきくんが組織にいて嫌気がさし、どこかで解放されたい人間の心に響いてヒットしたのと共通するものを感じる。
その後、長州はトップに立ち、社会を支える大多数の代弁者としての役回りを終えてしまい、その男のロマンの物語に胸を踊らせていた俺にはつまらなくなってしまったのだが、あの熱い感情が吹き出した季節をリアルタイムで経験できて良かったと思う。ここ数年の新日本プロレスは一時の低迷を抜け出し元気を取り戻してファンとして嬉しいが、あの頃の魂が震えるようなムーブメントを巻き起こす力はあるだろうか。
深くて暗い底の方から
Facebookを見ていると結構な頻度で、否定的な感情で涙が流れそうになる時がある。何故だろう、と立ち止まって考えてみる。
そういう時は、知り合いが自信満々に、上品とは言えない書き振りで自らの仕事ぶりを誇る投稿を目にした時が多い。目にまぶしく、かつ、嫌悪を感じる。控えめが美徳という時代ではないのは、わかっているつもりだ。しかし素直に賞賛できない。新入社員時代に「俺が俺がというのはやめてくれ」と、仕事は自分一人でできるものではないという信条を持つ人格者だった当時の部長の言葉がその面影と共に思い出される。いや、そんな道徳然とした心情に起因するものではないな。。単純に羨ましいとか妬ましい、くやしいというようなシンプルな感情だ。普段は自分が抑えこんでいて、浮かび上がってこない黒々とした感情なのかもしれない。ただ、それだけでもないような気もする。美意識のようなものも含まれるようにも思える。複雑な感情が交錯しないまぜとなって自分を強くネガティブな思いへと瞬間的に刺激し、揺り動かす。その刺激は、深く暗い底のほうにある自分の生き方の拠り所に触っているような気がしている。自分が長年飯を食ってきた、食わせてもらってきた仕事が裏方の仕事だからだろうか。
SNSは性格を悪くするか?
Facebookをスマホアプリから削除した。たまたま通りがかった書店の書籍のPOPに、「SNSをすると性格が悪くなる云々」と書いてあるのが目に入った。「ああ、そうだ」と思った。思い当たりがあるのだ。スマホアプリは画面ワンタッチであまりにも簡単にアクセスできる。ついつい通勤の電車の中やトイレで便器に座るとスマホを眺めてしまう。
暇に任せてダウンロードしたyahooアプリに目をやれば、トップに上がるニュースはタレントゴシップやくだらないニュースがほとんどだ。こんなものを熱心に眺めていても人生をより良くする参考にはならないと、最近あらためて思う。
横道に逸れてしまった。極論すれば、Facebookは他人のリア充を見て何が楽しいのかということだ。
今の自分が充実してないことの裏返しなのだな。ここまで書いて確信した。昔はそうでもなかった。これは今の俺の大きな課題だ。
他人のリア充記事を見るとき、自分を基準にして考えてしまうのが問題なのだ。羨ましいリア充記事がアップされていると、コイツは俺より給料がいいから、学歴があるから、とか、語学力が堪能だから、身体能力が優れているからとか、自分の現状プラスマイナス他人の能力や出自や環境を掛け合わせて納得できたり、できなかったりするのだ。心に不必要にザワザワとさざ波が立ってしまう。
純粋にリスペクトできる時もあるがそうではないネガティブな思い込みに囚われるときの方が多いような気がしている。そんな時、自分は相当嫌なヤツになっている(まあ、元々嫌な奴かもしれないのだが、、 笑)。
脳内で自問自答しているから「それは言い過ぎだ」とか、「格好悪い」とか「ひがみ根性だ」とか突っ込んでくれる有り難い友人はそこには、いない。やがて思い込みは否定されることなく心の底に自覚なく定着する。ある意味で自分自身が救われない。
今、スマホからアプリを削除し、あまり見なくなると、少し心が安定した。
あれだけ仕事が忙しく過ごしたのに、今、これだけの暇な時間が訪れたのは、何か意味があると前向きにとらえたい。今の自分の大きな課題にあらためて気づき、真正面から取り組み、これからどうしようと考えるチャンスを神様が与えてくれている、そう思うようにしよう。
歩いてみれば
あれだけ忙しくて死ぬかと思ったのに、ここのところは暇だ。忙しかった昨年後半から3月末までが暴風雨と日照りが同時にあるような過酷な状況だと例えるなら今は凪だ。そのギャップに苦しんでいる。我ながら素直にリラックスして遊べない損な性質だと思う。
お金が無いので、最寄りの駅から通勤定期の使用範囲を歩いてみた。自分の住む市からとなりの市に入ると街並みが変わり、樹々の多くなることを実感する。となりなのに通りの雰囲気が自然に変わる。年齢を重ねた樹々が元気に青々と繁っているのは嬉しいし、木陰に身を寄せたくなる。樹々は簡単に伐採して欲しくない。わが街にも緑を増やしてほしいし、自分でも機会があれば働きかけたい。
またしばらく歩くと、車窓から外を眺めていて朧げながら感じていた地形の面白さに気づく。非常にアップダウンが激しい。図書館に寄ってみたがあいにく休館だった。しかし、喫茶は空いていて休館のためか人が少なくゆったりできてかえって良かった。休館日は穴場だと思った。近くに良い公園もある。またこよう。
鳥と手打ちうどん
西東京市に次男の自転車を借りて乗って行った。2年ほど前まで住んでいた土地。一度自転車で行ってみたかった。約1時間で予想以上にあっさり到着。気がついたら見慣れた田無タワーがすぐ近くにあった。昔住んでいた家の周りをぶらぶらチャリンコをこいで昼近くになり、飯でも喰うかと思ったとき、ひらめいた店があった。
そこは、住んでいた時はなにやら怪しげで敬遠していたうどん屋。うどん屋なのにアヒルや鴨を飼っていて、そのため外観があまり清潔に見えなかった。
でも、実は美味いらしいという噂は耳にしていた。
小さい子供と家族で行くのはためらうが、今日は一人。勇気を出して引き戸をガラガラっと開けて入ると、人の良さそうな旦那が先客と談笑していた。
壁に貼った品札から肉もりうどんを、これまた人の良さそうな、でも細かいオーダーは苦手そうな奥さんに頼んだ。夫婦で切り盛りしているようだ。すると店主が奥で竹が軋むような音をさせたりトントンという音を立てはじめる。
やや、これはもしや、、と思いながら待つと、まさしく手打ちうどんが運ばれてきた。
適度にコシがある平打ち風の麺で喉越しがよい。「なかなかうまい・・・」と思いながらうどんをすするうち、地元らしきお客さんがどんどん入店してくる。年齢層は少なくとも50代以上だ。店の奥さんと会話する内容から、初めての来店ではなく、このお店が愛されている感じが伝わってきた。
店内に置いてある雑誌の中に、漫画雑誌などに混じって一冊だけレース鳩の愛好者向け雑誌があった。ページを開くとなかなかマニアックな情報が並んでいる。
何故、お店の敷地に鳥類を飼っているのかなんとなく察しがついた。
初めての来店だったし、夫婦は忙しそうだったので鳥に関する余計な質問はせずに、僕は食べ終えると、すぐにお金を払いご馳走さまと言って、店を出て自転車に再び跨った。意外な味わいのある店だ。離れてみて近づく距離というものもあるのだ。
カフカ
観劇した。自分としてはなかなか珍しいことだ。お金も時間もかかる。作品は「海辺のカフカ」だ。もう亡くなられた蜷川幸雄演出の芝居を一度は観たかったのである。
原作は読んでいない。
この世とあの世、現代と戦時中、東京と地方を行き来する物語と世界観が蜷川幸雄氏の演出と舞台美術で繊細に表現されていて印象的だった。舞台上の仕掛けによって、舞台上にない別の風景が見えているように思える瞬間がある。他の世界に誘われる魔法をかけられたような、余韻を残す贅沢な時間だった。主演の寺島しのぶの存在感も麗しいものだった。携帯をしっかり切って三時間をある世界観に浸って過ごすということも良かったのだと思う。気になるものがあればまた他の作品も観てみたい。