改めて、55歳からの自分探し

55歳で33年間勤めた広告関連の会社を退職し、半年ほどぶらぶらしていたけれど
「自分が何をしたいのか、さっぱりわからない」という感覚に陥った。
それが退職時。約2年経った今もその感覚は今もさほど変わらない。
こんなことをやってみたいという感覚はある。しかし
これをずっとやる!という覚悟には至らない。

33年間、不器用ながらも、一緒に過ごしてきた上司、同僚、部下、社内のみなさん、お得意先の方々に恵まれてなんとか生き延びてきた。幸せだったと今、思う。

退職して半年ほど「なにをやりたいかを見つけたい」と思いながらぶらぶらしていたが、このまま過ごす中ではやりたいことはわからないし、自分が社会と繋がっていないように思えて徐々に不安が募ってきた。そのような生活のせいか自分のメンタルが危なくなってきた感じもあり「働きながら考えよう!」と思い軽い気持ちでたかをくくってs再就職活動を始めた。ところが、年齢もあるのか(後に年齢の壁を大いに知ることになる)、10数箇所応募しても書類で落とされた。一層不安が募った。そんななかで、移住を支援するNPOにご縁をいただき再就職した。

約1年9ヶ月勤務したが、思うところあり、2024年7月末に退職した。NPOでは、特に現場にはよい人たちが多く、最初に勤めた広告関連の会社もそうなのだが、このNPOも今でも心の故郷のように感じている。

一人で個人事業主的に、フリーランス的に「なにか」で稼げないか、「もう少しできるんじゃないか」と思い、暗中模索、試行錯誤して、ああでもないこうでもないと思いながら半年も経過したが、思うように進められていないのが現状だ。

このままの延長線上では何も変わらないという危機感がある。今年は、しばらく放置してきた誰も訪れないこのブログをしっかり稼働させたい。自分以外の誰かに訪れてもらえるように2025年はこのブログを更新頻度を上げて、習慣化を宣言する。少なくとも週に1回は更新します!!ここだけですます調(笑)。私と同年代で早期退職したり、定年退職した方のヒントになればいいなと思っている。

弾丸ツアー 福島 飯坂温泉篇

2022年の11月から新しい仕事に就いた。週休二日制だけど土日は必ず出勤。連休はない。

新しい仕事では出張でいろいろなところへ行けるかも、という淡い期待があった。でも、当面は無さそう。とほほ。

なら、一人旅に出ようか。癒されたいし。何か見つかるかもしれないし。

休日前日の仕事上がりに東京を出て一泊して翌日帰宅する。

そんな弾丸旅行でどれくらい楽しめるか試してみよう。

勤務先の福島出身の人におすすめを聞いて教えてくれた飯坂温泉を行き先に決めた。

1月後半の火曜日の仕事終わりに出発。

宿だけ予約。

そんな日に限って業務トラブル発生。ギリギリで新幹線に乗車。

自由席空いてる。弁当もっと吟味して買いたかった。。

福島駅のお祭りらしき展示

1時間半くらいで福島到着。名古屋行くより早いかな。

ローカル線の飯坂線に乗り換え。

在来線ホームの端っこまで歩くとそこにさらにホームが。
右が飯坂線。左は阿武隈急行なんだね
なんだかかわゆい

待ち時間が30分くらい。待合室がないからあまり寒くない夜で助かった。

20分ほどで飯坂温泉駅到着

宿まで15分くらい歩く

宿に到着。22時30分は過ぎてた。

コンビニなかったし宿の自販機でチューハイ1缶呑んで温泉入って布団に入る。

24時間入浴可能で良かった。。

ここまではまだ良かった。

布団に入って寒いからエアコンを28℃に上げたけど全く寒い。

多分20℃くらいしかない。フロントに電話しても出ない。

結局、部屋にある布団4枚全部かぶって寝た。

翌早朝、もいちどフロントにコール。

俺 :「風邪ひくかと思いましたよ。エアコン壊れてますよ、絶対」

ホテル:「そうでしたか。すみません」

以上。ちーん。。

「お世話になりました」と言って宿を後にする。

せっかくの休日なのに、クレームつけてネガティブなエネルギーをまきちらすのがなんか嫌だった。疲れるし。

やるせない気分で駅に向かう。

川沿いに宿が並ぶ

このまま帰るのもなぁ。 

そういえば、外湯があったな。

寄ってみるか。

味のある木造建築

趣きのある建屋。

松尾芭蕉もつかった湯だとか。

日本各地で「松尾芭蕉も訪れた」とかいう文言をよく目にする。歩いて日本を、巡った松尾芭蕉ってどんな人物だったんだろう。忍者説もあるみたいだけれども。

脱衣所と湯室が一緒になっていて面白い。

とても熱い湯だった。けれど風呂のふちに座って少しずつ湯を身体にかけて少しずつ慣らしていたら浸かることもできた。

とても良い湯だった。200円で入れるのは素敵だ。

この湯での人との出会い、体験は大きな気づきがあった。長くなるので後述したい。

https://www.iizaka-onsen.jp/sabakoyu

駅前で販売されている野菜

鯖児湯を後にして駅に向かう。

駅前で打っている野菜は地元力士が勝つと割引きになるらしい。なんだか人の温かみを感じる。

地元の名産らしい曲がりねぎを買って電車に乗る。

福島駅まで戻って街を歩く。

看板のかわいい喫茶店でオムレツとコーヒーの昼食。

駅前で餃子や和菓子やら土産を買って新幹線で帰路についた。

福島って結構餃子屋が多いんだな。

以上で弾丸ツアー終了。

もう少しゆっくりしたかったけど翌日は仕事だし。

中身の濃い一泊二日だった。

ちょっと疲れたけど

楽しめた。有難う、福島。

またくるよ。

おしまい

長州力と泳げたいやきくんの共通項

プロレスラーの長州力が引退した。中学時代、彼のポスターを部屋に貼っていた。新日本プロレスが好きだった。長州力はアマチュアレスリングミュンヘンオリンピック代表経験者として期待されながら、プロとしては地味でメキシコ修行(現地に住み込んでメキシコリングに上がる長期遠征)に出るまでぱっとしなかった。当時、絶賛売り出し中のスタン・ハンセンが大暴れするのを制止する若手の一人として面白いようにロープに振られ必殺技ウエスタンラリアットの餌食になって豪快に吹っ飛ばされていた。他の日本人レスラーが大体黒シューズなのに白いシューズを履いて珍しかったし髪型がこれまたおばさんパーマでイケてなくて、「白シューズの長州、また吹っ飛ばされてるよ」と笑っていたものだ。

ところが数ヶ月後(1年間くらいの記憶だが定かではない)に、メキシコ修行を終え日本に凱旋帰国し日本のリングに上がったとき、髪型は長髪になり、肌は褐色に灼け、面構えも精悍になり明らかに一皮むけていた。

それから、かの有名なかませ犬発言から一気にメインストリームに踊り出て快進撃が始まった。

当時、メインエベンター争いでは一歩も二歩も先を行っていた藤波辰巳に向かって、「藤波!なんで俺がお前より前にコールされなきゃならないんだ。俺はお前のかませ犬じゃない!」と噛み付いて体制に反旗を翻したわけだ。あの駄目長州がスゲーカッコよくなった!と思ったし、イケてなかった男が一念発起して人生の反転攻勢に出たのを目にして当時中学生だった俺は子供ながらに興奮した。

あの時、長州はただのプロレスラーではなく世間の大多数を味方につけてひとつのアイコンになったのだと思う。一般社会とプロレスの間に橋を架けたのだ。

組織の中で、目上の人間の指示に従いながら大なり小なり内心忸怩たる思いを抱えながら仕事をこなす人間はたくさんいて、それらの人々に彼の言動、行動は大きな共感を呼んだのだと思う。当時中学生だった俺でさえ、駄目な男が見違えるように変わった姿の中に凄い説得力のあるドラマを感じていた。今改めて思うとあれは男のロマンであり、狙ったのか狙わずかは不明だが長州力は世間の代弁者の役回りをとにかく担ったのだ。

「毎日毎日僕らは鉄板の、上で焼かれて嫌になっちゃうよ、ある朝、僕は店のおじさんと喧嘩して海に逃げこんだのさ、、、」泳げたいやきくんが組織にいて嫌気がさし、どこかで解放されたい人間の心に響いてヒットしたのと共通するものを感じる。

その後、長州はトップに立ち、社会を支える大多数の代弁者としての役回りを終えてしまい、その男のロマンの物語に胸を踊らせていた俺にはつまらなくなってしまったのだが、あの熱い感情が吹き出した季節をリアルタイムで経験できて良かったと思う。ここ数年の新日本プロレスは一時の低迷を抜け出し元気を取り戻してファンとして嬉しいが、あの頃の魂が震えるようなムーブメントを巻き起こす力はあるだろうか。

深くて暗い底の方から

Facebookを見ていると結構な頻度で、否定的な感情で涙が流れそうになる時がある。何故だろう、と立ち止まって考えてみる。

そういう時は、知り合いが自信満々に、上品とは言えない書き振りで自らの仕事ぶりを誇る投稿を目にした時が多い。目にまぶしく、かつ、嫌悪を感じる。控えめが美徳という時代ではないのは、わかっているつもりだ。しかし素直に賞賛できない。新入社員時代に「俺が俺がというのはやめてくれ」と、仕事は自分一人でできるものではないという信条を持つ人格者だった当時の部長の言葉がその面影と共に思い出される。いや、そんな道徳然とした心情に起因するものではないな。。単純に羨ましいとか妬ましい、くやしいというようなシンプルな感情だ。普段は自分が抑えこんでいて、浮かび上がってこない黒々とした感情なのかもしれない。ただ、それだけでもないような気もする。美意識のようなものも含まれるようにも思える。複雑な感情が交錯しないまぜとなって自分を強くネガティブな思いへと瞬間的に刺激し、揺り動かす。その刺激は、深く暗い底のほうにある自分の生き方の拠り所に触っているような気がしている。自分が長年飯を食ってきた、食わせてもらってきた仕事が裏方の仕事だからだろうか。